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INDIAN MOTORCYCLE HISTORY
インディアンモーターサイクルの歴史 —— 1901年から現在まで
アメリカ最古のモーターサイクルブランドは、一度は消えました。そして半世紀を経て、もう一度走り出しました。
1901年、マサチューセッツ州スプリングフィールド。自転車レーサーと発明家が組んで一台の乗り物をつくったところから、インディアンモーターサイクルの歴史は始まります。やがて世界最大のメーカーとなり、レースで名を馳せ、数々の名車を残しました。しかし1953年、工場は止まります。ブランド名だけが人の手から人の手へ渡り、実体のないまま半世紀が過ぎました。
いまショールームに並ぶチーフやスカウトは、その長い空白を越えて戻ってきた一台です。栄光と、断絶と、再生。三つの時代を順にたどってみましょう。
1901 — 1910
THE FIRST MOTOCYCLE
二人の男と、一台の試作車
ジョージ・M・ヘンディーは、自転車競技の選手として名を上げ、のちに自転車メーカーを営んでいた人物です。より速く走る自転車を求めていた彼は、精巧なエンジン付き自転車を手がけていた技術者、オスカー・ヘッドストロムと出会います。1901年、二人はマサチューセッツ州スプリングフィールドで最初の一台を完成させました。
当時、この乗り物にまだ決まった呼び名はありませんでした。インディアンは自社製品を「モトサイクル」と綴ります。モーターサイクルから一文字を抜いたこの独特の呼称は、以後長く使われました。急な坂を登り、確実に止まる。ヘッドストロムの設計は完成度が高く、発表と同時に高い評価を得ます。
翌1902年から市販が始まり、注文は年を追うごとに増えていきました。深く鮮やかな赤 —— のちにインディアンレッドと呼ばれる色 —— が定番となり、遠くからでもそれと分かる一台になります。1907年にはVツインエンジンの開発にも着手。創業からわずか数年で、インディアンはアメリカを代表するメーカーの一角に食い込んでいました。
1911 — 1919
THE WIGWAM
世界最大のメーカーへ
1911年、インディアンはマン島TTレースで1位・2位・3位を独占します。ヨーロッパの本場で表彰台を丸ごと持ち帰ったこの結果は世界中に伝わり、ブランドの名を決定づけました。
スプリングフィールドの巨大な工場は、その外観から「ウィグワム」と呼ばれました。1913年ごろには年間3万台を超える生産規模に達し、当時としては世界最大のモーターサイクルメーカーになります。1916年には出力を高めた「パワープラス」エンジンを投入。長距離走行の記録挑戦も盛んに行われ、大陸横断の記録が次々に塗り替えられていきました。
第一次世界大戦では、インディアンも生産の多くを軍に振り向けます。ただしこの判断は、のちに重い代償を伴いました。市販車が店頭から消えたあいだに、販売店の多くが他社の車両を扱いはじめたのです。工場は忙しく稼働していましたが、街の売り場は静かに失われていきました。
1920 — 1929
SCOUT AND CHIEF
二つの名前が生まれる
1920年、技術者チャールズ・B・フランクリンの手によるスカウトが登場します。扱いやすく、それでいてよく走る中型車。壊れにくさは語り草となり、「インディアン・スカウトは乗りつぶせない」という言葉が広告に使われるほどでした。
1922年には、より大きな排気量を持つチーフが加わります。スカウトとチーフ。この二つの名前は、100年後の現在もラインナップの中心にあります。
1927年には四気筒車を手がけていたエース社を買収し、翌年から直列四気筒のインディアン・フォアを送り出します。そして1928年、名車の呼び声が高い101スカウトが登場。低い車高と絶妙な車体バランスで、思いのままに曲がる。「壁のライダー」と呼ばれる曲乗り芸人たちがこぞって選んだことでも知られ、いまも旧車愛好家のあいだで別格の扱いを受けています。
1930 — 1939
THE COLORS
大恐慌と、色彩の時代
世界恐慌はインディアンにも容赦なく襲いかかりました。アメリカに数多くあったメーカーは次々と姿を消し、1930年代を生き残ったのは、インディアンとハーレーダビッドソンの二社だけでした。
1930年、実業家E・ポール・デュポンが経営に加わります。塗料事業を持つ一族の出身だったことから、インディアンの車両には他社にはない豊富な色が用意されるようになりました。二十色を超える選択肢が並び、モーターサイクルは移動の道具から、選んで楽しむ工業製品へと性格を変えていきます。
そして1940年モデルで、インディアンを象徴する意匠が生まれます。前後の車輪を大きく包み込むスカート付きフェンダーです。流れるような曲線は当時の流線形デザインの空気をまとい、他のどのメーカーとも似ていませんでした。この造形は現在のチーフにも受け継がれています。
1940 — 1949
WAR AND AFTER
戦争と、戦後の迷い
第二次世界大戦でも、スプリングフィールドの工場は軍用車両の生産に切り替わりました。前の大戦と同じ構図です。そして戦後、インディアンはふたたび難しい局面を迎えます。
1945年に経営権を握った新しい体制は、大きく舵を切ります。これからは大排気量のVツインではなく、イギリス車のような軽量な単気筒・二気筒が売れる —— そう読んで、まったく新しい小型モデル群を投入したのです。
結果は厳しいものでした。開発を急いだ新型は品質が安定せず、故障の評判が広まります。しかも、それまでインディアンを支えてきた大型車の愛好家は置き去りにされました。伝統的なチーフの生産は細り、資金は新型の失敗で削られていきます。読み違いというより、賭けに出て外したというほうが近いかもしれません。
1950 — 1953
THE LAST CHIEF
工場が止まった日
1953年、インディアンモーターサイクルはスプリングフィールドでの生産を終了しました。創業から52年。アメリカ最古のモーターサイクルメーカーが、市場から姿を消した瞬間です。
最後に世に出たチーフは、あの大きなスカート付きフェンダーをまとった堂々たる一台でした。皮肉なことに、完成度そのものは高かったといわれています。売れなかったから消えたというより、経営の判断が積み重なった末の終幕でした。
生産終了後も、インディアンという名前だけは生き残ります。しばらくのあいだ、イギリス製の車両にインディアンのバッジを付けて販売するという時期もありました。中身のないブランド名の時代が、ここから始まります。
1954 — 1998
THE LOST DECADES
名前だけが漂った半世紀
ここからの約半世紀が、インディアンの歴史でもっとも語りにくい時代です。商標権は何度も売買され、複数の人物や企業が同時に「自分がインディアンだ」と主張する状態が続きました。復活を掲げた計画がいくつも立ち上がっては、実際の車両を出せないまま消えていきます。
それでも、この名前が忘れられることはありませんでした。旧車の愛好家たちが古いスカウトやチーフを整備し、走らせ続けたからです。工場が失われてもなお車両は路上に残り、部品を融通し合う人のつながりが各地にありました。ブランドを生かしていたのは企業ではなく、乗り手たちだった時代です。
1999 — 2011
TWO ATTEMPTS
二度の再起
1999年、長く争われてきた権利がひとつにまとめられ、カリフォルニア州ギルロイで生産が再開されます。半世紀ぶりに、新車のインディアンが店頭に並びました。スカート付きフェンダーをまとったチーフは大きな話題になり、独自エンジンの開発にもこぎつけます。しかし資金は続かず、2003年に工場は再び閉じられました。
2000年代後半には投資会社の支援を受け、ノースカロライナ州キングスマウンテンで三度目の挑戦が始まります。丁寧に作り込まれた車両でしたが、価格が高く生産台数も限られ、事業として大きく育つには至りませんでした。
二度の再起は、いずれも短命に終わりました。ただしこの時期に、インディアンという名前が「過去の遺物」ではなく「まだ商品になりうるブランド」だと示されたことは、次につながります。
2011 — 2013
THE THUNDER STROKE
ポラリスによる本格復活
2011年、アメリカの大手車両メーカーポラリス・インダストリーズがインディアンモーターサイクルを買収します。スノーモービルやオフロード四輪で確かな実績を持ち、量産の設備も販売網も資金も備えた企業でした。これまでの再起とは、出発点がまるで違います。
ポラリスは急ぎませんでした。約2年をかけてエンジンを新規に開発し、2013年8月、ライダーが集まるスタージスの祭典でサンダーストローク111エンジンとチーフの新型を発表します。往年の造形を踏まえながら、中身は現代の技術で組み直された一台でした。
60年ぶりに、インディアンが本気で戻ってきた。そう受け止められた発表でした。
2014 — 2019
SCOUT RETURNS
スカウトの帰還と、FTR
2014年、スカウトの名が復活します。水冷Vツインを搭載した現代的な設計で、車体は軽く、足つきもよく、価格も現実的。1920年代のスカウトが担っていた「扱いやすい一台」という役割を、そのまま現代に置き直したモデルでした。多くの人にとって、これが最初のインディアンになります。
続いて長距離向けのロードマスター、装備を整えたスプリングフィールド、そぎ落とした佇まいのスカウト・ボバーと、ラインナップは着実に広がっていきます。
2019年には、それまでのインディアンとは毛色の違うFTR1200が登場します。土のオーバルコースを走るフラットトラックレーサーの姿を、そのまま公道向けに仕立てた一台。前後同径に近いホイールと直立した乗車姿勢は、クルーザーの文法から外れたものでした。ブランドの幅を広げにいった意欲作です。
2017 —
BACK TO RACING
レースへの復帰
2017年、インディアンはアメリカン・フラットトラックにFTR750で本格参戦します。マン島TTを制した時代から数えて、実に長い空白を挟んだ復帰でした。
結果は圧倒的でした。参戦初年度からシーズンを席巻し、チームは「レッキング・クルー」と呼ばれるようになります。これは1920年代にハーレーダビッドソンのワークスチームが付けられた異名と同じ言葉で、インディアンがあえてそれを名乗ったところに、この時代の勢いがよく表れています。
2020年からはキング・オブ・ザ・バガーズにも参戦。大型ツアラーによるこのシリーズで、インディアンはチャレンジャーを走らせ、ハーレーダビッドソンと互角の戦いを続けています。
2020 — 現在
THE CHALLENGER
水冷という選択
2020年、大型ツアラーのチャレンジャーが登場します。新開発の水冷Vツイン「パワープラス」を搭載し、車体に固定されたフェアリングを備えた一台。空冷の鼓動を大切にしてきたこの分野に、あえて水冷の高出力エンジンを持ち込んだ判断は明快でした。伝統は形で受け継ぎ、性能は現代の手法で取りにいく。
その後もチーフの世代交代、スポーツ志向のスポーツチーフ、そしてスカウト一族の全面刷新と、ラインナップは動き続けています。刷新されたスカウトには、往年の名車の名を継ぐ101スカウトも加わりました。1928年の一台の名前が、約100年を経て現行モデルに戻ってきたことになります。
AND NOW
そして、いま
インディアンモーターサイクルの歩みには、他のブランドにない断絶があります。1953年から1999年まで、新車が一台も作られなかった時期があるのです。ふつうなら、そこで終わっていたはずでした。
それでも戻ってこられたのは、名前に価値があったからだけではありません。古いスカウトを直して乗り続けた人たちがいて、その姿を覚えている人たちがいた。だからこそ、ポラリスが本気で投資する対象になり得ました。ブランドを繋いだのは、走り続けた車両そのものだったと言えます。
いま店頭に並ぶチーフのフェンダーの曲線は1940年から、スカウトという名前は1920年から、101という数字は1928年から続いています。読んで知るより、またがってみるほうが早いこともあります。気になる一台があれば、ぜひ店頭でご覧ください。
インディアンモーターサイクルの歴史は、生産中断や商標の移転が重なるため、資料によって年代や経緯の記述に幅があります。本ページは広く知られている出来事をもとに、時代の流れがつかめることを重視して構成しています。個々の車両の詳しい仕様については、店頭にてお問い合わせください。
